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広島高等裁判所 昭和57年(行コ)8号 判決

控訴人(被告) 法務大臣

訴訟代理人 木村要 津田忠昭 山根光春 畦地靖郎

被控訴人(原告) 葉菫

主文

原判決を取消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴人は、「一原判決を取消す。二被控訴人の訴えを却下する(本案前の申立)。被控訴人の請求を棄却する(本案の申立)。三訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の主張及び証拠の関係は、次に附加するほか原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。

一  控訴人の主張

別紙昭和五七年一一月一八日付控訴人準備書面(一)記載のとおり。

二  被控訴人の主張

別紙昭和五八年一月一一日付準備書面記載のとおり。

三  証拠〈省略〉

理由

第一被控訴人の本件帰化許可申請に対する法務大臣の不許可決定は、行政事件訴訟法三条二項にいう「処分」にあたらず、取消訴訟の対象にならないとする控訴人の本案前の主張に対する当裁判所の判断は、原判決のそれと同一であるから、この点に関する原判決の理由説示をすべて引用する。控訴人の主張は採用できない。

第二被控訴人の昭和五四年五月七日付帰化許可申請に対し、控訴人が昭和五五年四月二日、「葉美穂(伊藤美穂)との身分生活関係が考慮された」との理由により、帰化を不許可とする決定をしたことは、当事者間に争いがない。控訴人の主張によれば、右不許可理由の骨子は、被控訴人はその親権に服する未成年の子美穂と同時に帰化申請すべきもので、それを困難とする特段の事情もないのに、被控訴人のみに対し帰化を許可することは相当でないというにある。これに対し、被控訴人は、本件不許可決定は違法であるとして、その取消を求めるものであるから、以下これについて判断する。

一  被控訴人と美穂との身分生活関係

1  (1)被控訴人は昭和六年五月九日広島県芦品郡府中町において、日本国籍を有する父奥家健一と母奥家トウ間の二女として出生し、同月二一日父健一の出生届出によりその戸籍に入籍したこと、(2)昭和二三年二月、被控訴人が台湾人である葉發貴と結婚生活に入り、同年八月二五日広島市長に婚姻の届出をなし、これによつて台湾籍に移籍したものとして除籍されたこと、(3)右両名は、昭和四三年七月二五日、右市長に協議離婚届を提出したこと、(4)昭和四三年八月二七日、被控訴人が美穂を出産したこと、(5)被控訴人に対し、昭和四七年(中華民国六一年)九月二八日付をもつて、中華民国内政部長名で国籍喪失許可証が発行されていること、以上の各事実は当事者間に争いがない。

いずれも成立に争いのない甲第六、第七号証、乙第二号証の一ないし四、原審証人伊藤充の証言によつて成立の認められる甲第八号証の一並びに右証人伊藤充の証言、原審における被控訴人本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すると、(6)被控訴人と葉とは、昭和三四年一〇月頃事実上離婚し、以来別居し全く夫婦関係はないが、前記のとおり昭和四三年七月二五日に至つてはじめて協議離婚の届出をしたこと、(7)他方、被控訴人は葉と事実上離婚した直後頃、日本人伊藤充と事実上結婚し、同棲生活をはじめ、引続き現在まで内縁関係にあるが、その間、前記のとおり昭和四三年八月二七日長女美穂を出産したので、伊藤との間の子として出生届をしようとしたが受理されなかつたため、同女は出生届未了のまま、被控訴人及び伊藤と同居して、両名の養育、監護を受けて今日に至つていることが認められる。

2  右によれば、被控訴人は、昭和二三年八月二五日、台湾人葉發貴との婚姻の届出により内地戸籍から除籍され、台湾人としての法的地位をもつに至つていた人であり、昭和二七年八月五日、日本国と中華民国との間の平和条約の発効により日本の国籍を喪失したことになる(最高裁昭和三七年一二月五日大法廷判決、刑集一六巻一二号一六六一頁参照)。また、美穂の身分については、被控訴人と葉との離婚届出が昭和四三年七月二五日、美穂の出生が同年八月二七日であるから、同女は被控訴人と葉との間の嫡出子と推定され(法例一七条、二〇条、中華民国民法一〇六一条ないし一〇六三条)、出生時に中華民国国籍を取得したことになる(中華民国国籍法一条一号)。しかし真実は、同女は被控訴人と伊藤間に出生したものであるから、後日、同女と葉間の親子関係不存在の裁判が得られれば、同女は被控訴人(中国人)の非嫡出子として、中国国籍を取得したものと認められる(同法一条三号)。そうして、美穂に対し親権を行使し、その監護にあたるべき者は、被控訴人のみであると解せられる。

二  帰化実務の運用

控訴人は、帰化申請者がその親権に服する未成年の子を有する場合、親子同時に帰化の申請をさせるのが実務上の取扱であり、また、帰化申請についての調査の段階で、表見上の身分関係が真実のそれと合致しないことが判明したときは、原則としてその身分関係が整序されるまで、帰化を許可しない方針であると主張する。原審証人堂前正紀の証言によれば帰化実務の運用上、左のごとき取扱がなされていることが認められる。

1  旧国籍法一五条は、親の帰化の効力を子にも及ぼしていた(親子国籍同一主義)が、現行国籍法は、親の国籍変更に伴つて、当然に子の国籍に変動が生ずることを認めていない(親子国籍独立主義)。

しかし、諸外国には、親の帰化の効果を、未成年もしくは一定の低年齢の子に及ぼす立法も、多数見受けられる(成立に争いのない乙第三、第四号証)。現行国籍法も、日本国民の子である外国人については、その帰化条件を緩和している(六条二号)。このことは、親子の国籍が異なることによつて生ずるおそれがある種々の弊害、例えば、在留資格、忠誠義務もしくは兵役義務の問題、社会保障の受給権の有無、教育を受ける権利義務等について、親子間の身分生活関係が錯綜する不便、不利益を考慮すると、親子の国籍を同一にして同一の国内法規に服させるのが、むしろ望ましいものであることを示すものといえる。そうであるとすれば、現行国籍法が親子国籍独立主義をとつていることにかかわらず、帰化申請者に未成年の子があるときは、親の帰化申請と同時に未成年の子についても帰化申請をさせ、双方の帰化を同時に許可する取扱をすることは、十分の合理性を有するものといわねばならない。してみれば、控訴人の主張する帰化実務における親子同時申請の取扱は、法務大臣の正当な裁量権の行使に基づくものであつて、何ら違法ということはできない。

2  また、法務大臣が帰化申請の許否判断をするにあたつては、申請者の真実の身分関係に基づき帰化条件の有無を決すべきことは、事柄の性質上当然であり、帰化を許可された者について新戸籍を編成するにあたり、戸籍に真実の身分関係を表示させる必要からも、帰化許可の前提として、申請者の身分関係の整序を求めることは、肯認されて然るべき要求といわねばならない。従つて、帰化申請者の表見上の身分関係が真実のそれと合致しないときは、その身分関係が整序されるまで、原則として帰化を許可しないとする帰化実務上の方針は、これまた法務大臣の正当な裁量の範囲に属するものというべきである。

三  叙上の帰化実務の運用に照らせば、未だ出生届もなされていないが、現実に被控訴人の親権に服し、その監護養育を受けている未成年の子(美穂)を有する被控訴人からの本件帰化許可申請に対し、「美穂との身分生活関係」が考慮され、その結果、本件不許可決定がなされたことは、まことにやむをえないことといわねばならない。けだし、美穂が被控訴人と伊藤間の子であり、後日伊藤によつて認知されても(後述のとおり、その前提として、葉との間に親子関係が存在しないことを確定する裁判を必要とする。)、それによつて日本国籍を取得することはなく、出生時に母が日本国民であつたものでもないから、被控訴人が帰化して日本国籍を取得した後に出生届を提出しても、美穂が日本国籍を取得することはない(国籍法二条三号)。従つて、美穂が日本国籍を取得するには、帰化の許可を得るほかないのである。ところで、美穂については、未だ出生届がされていないうえに、同女は被控訴人と葉との間の嫡出子との推定を受けるものであるが、真実は被控訴人と伊藤との間の子であるというのであるから、帰化申請にあたつては、まず身分関係の整序を行う必要がある。しかし、右整序には、さほど時間を要するものとは考えられない。すなわち、出生届に先立ち、美穂と葉との間で父子関係不存在確認の裁判を得れば、その謄本とともに被控訴人の非嫡出子として出生届をすることが可能と考えられる。そうして、前顕甲第八号証の一及び弁論の全趣旨によれば、葉はその後日本に帰化し、現在広島市に居住していること、美穂の身分関係については関係者に争いがないことが認められる本件においては、右父子関係不存在確認の裁判は、訴訟によるまでもなく、家庭裁判所における家事審判法二三条による合意に相当する審判を受けることによつて、容易にその目的を達することができるものと思料される。

しかるに、被控訴人は、本件帰化申請をした昭和五四年五月七日から今日まで、前記のような父子関係不存在の裁判を得るべき手続を何もしておらず、美穂について帰化の同時申請をしないのは、被控訴人が帰化許可になれば美穂について日本国籍者として出生届が可能であるとの誤つた見解に基づくものと推察され、同時申請が客観的に不可能または極めて困難な事情にあるものとは認め難い。

以上のとおりであれば、親子同時申請の原則的取扱を例外的に停止または解除すべき特段の事情があるとは到底認め難く、右原則に基づいてなされた本件不許可決定には、裁量権の逸脱、濫用の違法は存しない。

四  ひるがえつて考えるに、被控訴人が日本人の子として日本に生れ、以来今日まで日本に居住する者であることは、被控訴人の主張するとおりである。しかしながら、元来、旧国籍法は、日本人女子が外国人の妻となり、夫の国籍を取得したときは、日本の国籍を失うものとしていた(一八条)。そうして、敗戦後、すでに降伏文書の調印により、台湾は中国に返還されることが約束され、台湾人は日本国民とは異つた取扱いを受けるに至つていたのである。このような情況のもとで、被控訴人は台湾人と婚姻し、その後、日華平和条約の発効にともなつて日本国籍を喪失するに至り、後に事実上離婚したが、正式に離婚届を提出しないまま、事実上再婚したため、その後出生した子の身分関係を複雑化した(このこと自体は、前夫が日本人であつても生ずる問題である)のである。事実は以上のとおりであり、このように見てくると、本件は、元日本人であつた者の帰化事件として、格別特殊な事例ではない。親権の及ぶ未成年の子を残して親権者だけの帰化を許可することは相当でないとした法務大臣の裁量を非難することはできない。

その他に本件不許可決定を違法とする事由は認められない。

第三結論

よつて、控訴人のなした本件不許可決定が違法であるとして、その取消を求める被控訴人の本訴請求は、失当であつて棄却を免れないから、これを認容した原判決を取消し、被控訴人の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき行訴法七条、民訴法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 熊佐義里 土屋重雄 大西浅雄)

(別紙)

昭和五七年一一月一八日付 控訴人準備書面(一)

控訴人は、本件控訴の理由を次のとおり明らかにする。

一 本案前の主張

1 原判決は、「帰化の許可は法務大臣の自由裁量に属するというべく、帰化申請者に国籍付与請求権というような権利が存するものでない」(一二丁表)としながらも、法務大臣は、申請者に対し許否いずれかの応答をすべきであり、申請者は「その応答が適法になされることにつき権利若しくは法律上の利益を有する」(一三丁表)として不許可決定の処分性を肯定している。帰化申請者に国籍付与請求権がないこと、したがつて帰化許可請求権がないことは原判決指摘のとおりというべきであるが、それにもかかわらず申請者が適法な応答(処分)がなされることにつき権利又は法律上の利益を有するとするのは、ひつきよう、申請者個人になんら法律上保護されるべき利益がないにもかかわらず訴えの利益を肯定するものであり、背理という外はない。

帰化の許可に関する法務大臣の裁量権が適正に行使され、社会通念や条理に反してはならないことはいうまでもないが、裁量権の行使が適正であるべきことは、ひとり帰化の許否に限らず、あらゆる裁量行為についていいうることである。換言すれば、行政権の主体たる内閣及びこれを分任する各省大臣は、行政権の行使を適正に行うべき政治的責務を主権者たる国民に対して負担しているのであり、単にこのことのみを理由に、行政権の行使に関し行政訴訟によりこれを争う法律上の権利又は利益は生じないというべきである。

帰化の法律的性質については、これを公法上の契約とみる説(平賀「国籍法」下巻二四九ページ)と相手方の同意を要する単独行為とみる説(山田(三)「国際私法」一七〇ページ)があるが、いずれの説によつても、帰化は、従来の国籍に伴うあらゆる権利、義務を消滅させ、許可の対象者に参政権、国内在留権を付与し、日本国の主権者たる地位を与えるのみでなく、日本国の属人的統治権に服せしめ、納税の義務(憲法三〇条)、保護する子女に普通教育を受けさせる義務(憲法二六条二項)、憲法を尊重し擁護する義務(憲法一二条、九九条)を始め法律上の種々の義務を新たに負わせるという重大な結果を伴うものであるから、帰化の許可は、その対象者の同意を要すると考えられているのである。現行国籍法の帰化の申請は、この帰化の許可に関する事前の同意を確認し、法務大臣が自由裁量により国籍を付与すべきか否かを判断する端緒となるものであり、かつ、これに尽きるというべきである。以下、この点につき詳述する。

2 国籍法に規定された帰化条件(同法四条ないし七条)は、その文言からも明らかなように、法務大臣が帰化を許可する場合の最低の条件を定めたものにすぎないのであつて、原判決の指摘するとおり、これらの条件を備えた外国人に、当然に帰化の請求権を与え、この者に対して法務大臣に帰化を許可すべき義務を負わせる趣旨ではないのである。それゆえ、帰化を申請した外国人は、法定の帰化条件を備えたからといつて、国籍付与請求権ないし帰化許可請求権を有することにはならないし、法務大臣は、法定の帰化条件を備えた者について、帰化の許否を自由に決し得るものというべきである。

憲法、国籍法は、何人に対しても国籍を自由に処分する権利を保障していない。国籍は、帰化の許可の場合を除き、出生の事実により当然に付与され、当該個人は自己の意思により国籍の付与を拒絶することはできない(国籍法二条)。また、日本で出生した日本国民の子であつても、国籍法二条の所定の要件を満たさないものは、日本の国籍を取得しないし、日本国民を両親とする嫡出子であつても一定の手続を行わなければ、遡つて国籍を失う場合もある(同法九条)。他方、自己の志望により外国の国籍を取得した者は当然に日本の国籍を喪失し、自己の志望により日本の国籍を保持することは許されていない(同法八条)。憲法二二条は、国籍離脱の自由を保障しているが、これは無国籍となる自由を保障したものではなく、日本の国籍の離脱には、外国の国籍を併有することとの重大な制限が課せられているのである(国籍法一〇条)。

これらの規定は、いずれも、国籍は国家の主権者の範囲を確定し、国家の属人的統治権の範囲を限定する高度の政治的事項であつて、これを個人の権利と観念することはできず、まして、国籍付与請求権ないし帰化許可請求権を想定する余地のないことを如実に示しているものである。

このような解釈は、また、国籍法以外の実定法の規定によつても支持されるものである。行政不服審査法四条一項一〇号は、「外国人の出入国又は帰化に関する処分」に対しては、不服があつても審査請求又は異議申立てをすることができない旨定めている。これは、外国人の出入国及び帰化を許可するかどうかは、元来国家が自由にこれを決し得るものであるから、国民の権利利益の救済を目的とする同法の対象とすることが妥当でない、との理由によるものである(田中真次=加藤泰守・行政不服審査法解説六一ページ、昭和三七年八月二七日参議院内閣委員会における野木政府委員発言など)。行政上の不服申立の一般法としての行政不服審査法が特に明文をもつて帰化に関する処分を不服申立ての対象から除外した趣旨は、行政事件訴訟法の解釈においても考慮されるべきである。

3 さて、帰化不許可決定が行政事件訴訟法三条二項の「処分」に該当するためには、同決定が権利又は法律上の利益を侵害するものでなければならない、と考えられるので、この点から検討する。

わが国籍法が外国人に対し国籍付与請求権を付与したものと解すべきでないことは前記のとおり明らかである。そうだとすれば、帰化申請をした外国人が帰化不許可決定を受けたことにより、いかなる権利又は法律上の利益の侵害があつたことになるのであろうか。帰化申請者に対し国籍付与請求権が付与されていない以上、帰化が許可されなくても、従来の申請者の権利、義務及び法的利益に変更はないのであるから、行政事件訴訟により保護されるべき法的な利益の侵害はないというべきである。

このような帰化許可の性質に共通したものとして、例えば、公務員の任命行為をあげることができる。公務員の任命にあたつては、法定の資格要件を備えた者であつても、その者を任用するかどうかは任命権者の自由裁量に属するものと考えられるので、任用されなかつたことにつき取消訴訟を提起することは許されないこととされている(鵜飼信成・公務員法〔新版〕一〇二ページ(五)、なお、地方公務員の採用内定の取消しにつき最高裁昭和五七年五月二七日第一小法廷判決・判例時報一〇四六号二三ページ)。

4 以上のとおり、帰化不許可決定は、現行の法制度上、行政事件訴訟法三条二項にいう「処分」には該当しないものというべきである。近時、行政庁の違法な行為から私人の権利ないし利益を保護するという見地から「公権力の行使に当たる行為」の範囲は、一般に広く解釈される傾向にあるといつてよいが、帰化に関する処分に関しては、前記の特質に照らし、安易な拡張解釈はされるべきではない。

ところが、原判決は、帰化申請者が国籍付与請求権を有するものではなく帰化の許否は法務大臣の自由裁量に属することを認めながら、その理由中において、法務大臣は「帰化申請に対して許否いずれかの応答をなすべく、申請者はその応答を求めることができると解され、そうであれば、申請者としては、進んでその応答が適法になされることにつき権利もしくは法律上の利益を有するということができる。」(一二丁裏、一三丁表)と判示している。原判決は、帰化不許可処分の処分性の判断につき、東京高等裁判所昭和四七年八月九日判決(行裁集二三巻八・九号六五八ページ)に従つたものであるが、右高裁判決は、次の理由により、帰化不許可処分の処分性の解釈について説得力ある実質的な理由を示していないものといわざるを得ない。

前記東京高裁判決は、国籍法三条以下及び同法施行規則一条により、帰化しようとする者は帰化申請権(行政庁に申請できる権利)を有するから、法務大臣はこれに対してなんらかの応答をしなければならず、いわゆる応答義務がある、としたうえ、更に、申請者が受ける応答は適法のものでなければならないから、申請者は「処分が適法になされることに権利ないし法律上の利益」を有し、その救済のため、相当期間内に処分がなされない場合は「不作為の違法確認の訴え」(行訴法三条五項)を、なされた処分が違法な場合は「処分の取消しの訴え」(同法三条二項)をそれぞれ提起することが許されるとして、結局、帰化申請権を根拠として帰化処分の処分性を肯定しているのである。

なるほど、国籍法一一条及び同法施行規則一条は、帰化の「申請」なる用語を使用しているが、同条は、その規定の体裁から明らかなとおり、帰化の許可を申請すべき者を特定し、その添付書類を定めたものにすぎず、帰化の申請は、帰化の許可の事前確認の手続であり、法務大臣の職権の発動を促す趣旨のみを有するとの控訴人の主張に合致こそすれ、適法な処分を要求する法律上の権利の根拠となり得ない。このことは、また、帰化の不許可に関し、法務大臣に対しその応答義務を課し、あるいは不許可事由の告知を義務付けた規定がないことからも明らかである。法務大臣が申請後相当期間内になんらの処分もせずこれを放置するようなことは適正な行政の見地から相当でないし、また、不許可処分には公定力がなく再申請を妨げないので、申請者に対し、その理由を告知し、再申請の便宜を図ることは、行政の運営上妥当であるから、行政実務上、大臣が申請に対しなんら応答しないことはあり得ない。本件においても、原告に対し、不許可の旨及びその理由が告知されているが、これは、適正な行政の運営の要請の反射的利益というべく、これをもつて、申請者個人に適法な応答を要求すべき権利又は法律上の利益があるとするのは論理の逆転である。

また、仮に百歩譲り、申請者に申請権があり、「不作為の違法確認の訴え」による救済が認められる場合もあり得るとしても、前記東京高裁判決が、処分の適法性についてまで言及し、申請者が適法な処分を受ける法的な利益を有する、としたことは不当である。同判決にいう「処分が適法になされることにつき権利ないし法律上の利益」との言辞は不明確きわまりない説示である。申請者の有する申請権から論理的に帰する結果は、申請者に対応する応答義務を根拠とする「不作為の違法確認の訴え」の提起が許されることのみであつて、「処分の取消しの訴え」の提起までもが許されることではないはずである。国に対し、なんらかの処分をせよと求めることとその処分自体が適法であるべく求めることとは、全く別の次元に属することというべく、単なる手続上の申請権のようなものからは、処分自体の適法性を法的に追求する権利は派生してこないものというべきである。帰化申請者が自己の受けた処分の適法性を争い得るかどうかは、前記のとおり、権利利益の侵害の有無及び訴訟法的な観点から決定されるべきことといわざるを得ず、申請者が申請権を有していることから導かれるものではないのである。同判決は、行政庁に対する帰化処分申請権に不当にも過大な利益内容を盛り込んだものであり、論理の飛躍をおかしているものであつて、到底承服することはできないものである。

このように、同判決は、帰化申請者につき不明確な利益概念を肯定することにより、これを帰化不許可処分の処分性の理由づけに用いたものであり、結局、処分性についてはなんら実質的な理由を示していないのである。このような判決は、到底先例たり得ないものといわなければならず、これに従つた原判決もまた正当な判例の確立によつて取り消されるべきものである。

ちなみに、申請に対する拒否行為が抗告訴訟の対象となる処分に当たるかどうかは、それが申請人の法的な地位に影響を及ぼすかどうかによつて決まると考えられるが、この点に関し、処分性を否定した裁判例として、公共職業安定所から失業者就労事業に紹介された者に対する事業主体の雇入れの拒否について、公共職業安定所から失業者就労事業に紹介されたからといつて、事業主体に対して右事業に就労し得べき具体的権利ないし法律上の地位を取得するものではない、としたもの(福岡地裁昭和四四年六月二〇日判決、行裁集二〇巻五・六号七五六ページ)、自動車損害賠償法七二条に基づく損害てん補請求に対し運輸大臣のした保障事業から損害のてん補はしない旨の裁決について、これは単なる支払拒絶の意思表示にすぎず保障請求権に何ら変動が生ずるものでないとしたもの(大阪地裁昭和四八年一〇月二日判決・判例時報七四七号五五ページ)、通商産業大臣のした企業合理化促進法三条及び同法施行規則四条に基づく工業化試験補助金を交付しない旨の決定につき、右法条は主務大臣に対し、試験研究者に補助金を交付することができる等の権限を付与したにとどまり、試験研究者に補助金交付申請権を認めたものではないとしたもの(東京高裁昭和四九年五月二三日判決・東高時報二五巻五号民九一ページ)などがある。いずれも侵害される権利利益の内容を厳密に確定していることが注目される。

5 原判決は、帰化の不許可の決定が行政事件訴訟法三条二項の処分として処分の取消しの訴えの対象となり、法務大臣の「裁量権の行使が社会通念に照らして著しく妥当を欠く場合は、裁量権の逸脱またはその濫用として違法となり得る」(一三丁表)と判示しているが、裁判所が、具体的に、いかなる基準、いかなる方法で帰化不許可決定を裁量権の行使として「著しく妥当を欠く」と判断するのかを明らかにしていない。

帰化の不許可決定に際し、法務大臣がその理由を申請者に告知すべき旨を定めた規定はなく、したがつて法務大臣は理由を告知すべき法的義務はない。また、一般に、自由裁量行為の裁量権の逸脱、濫用を理由とする処分の取消訴訟においては、その逸脱、濫用の主張、立証責任は原告にあると解すべきであるから(最高裁昭和四二年四月七日判決・民集二一巻三号五七二ページ参照)、帰化不許可決定の取消訴訟においても、法務大臣は不許可決定の理由を明らかにすべき義務はない。

現行帰化実務上、不許可決定に際しては、前述のとおり申請者の再申請の便宜を考慮して、原則としてその主要な理由の概要を告知しており、本件においてもこの実務の慣行に従つているが、これを行うか否かは法務大臣の自由であり、また、告知された理由が、不許可決定の正確な理由のすべてであるとする制度的保障はない。不許可の決定が、国際情勢、外交関係等を理由とする場合には、事柄の性質上、理由の開示を相当としない場合もある。したがつて、不許可決定が裁量権の逸脱又は濫用に該当するか否かを、不許可の理由が「社会通念に反し著しく妥当を欠く」か否かを基準として、判断することは不可能であるというべきである。

そうすると、原判決のいわんとするところは、当該帰化不許可決定に関するあらゆる事情を考慮して、判決時に不許可決定自体が「社会通念に照らして著しく妥当を欠く」か否かを判断する権限を裁判所が有し、そのように判断する場合には、帰化を許可すべきことを命じ得る(行政事件訴訟法三条二項)ということに帰着せざるを得ない。

しかし、右のような見解は、憲法の定める三権分立の原理に明らかに牴触する。次項に述べるとおり、帰化の許否に関し、法務大臣は広範な裁量権を有し、その決定に際し、考慮すべき事情には、高度の政治的判断を要する事項もある。例えば、外国人に対する帰化の許可は、当該の者に日本に自由に出入国し、無期限に在留する権利を付与する効果を有するから、法務大臣は、外国人の出人国の許可、永住の許可に際し考慮すべき事情は、帰化の許否に際してもすべて考慮すべきこととなる。したがつて、帰化の許否に関し、法務大臣は、「その者の帰化が日本国の利益に合致するか否か」(出入国及び難民認定法二二条二項)、「法務大臣において申請者が日本国の利益又は公安を害する行為を行うおそれがあると認める相当の理由があるかどうか」(同法五条一項、一四条)、「申請者の属する国が日本人を同一の要件で帰化を許可するかどうか」(同条二項)等を考慮しなければならない。原判決によればこのような事項をも法務大臣に代わり裁判所が判断する権限と責任を有していることになり、三権分立の原理から到底承服することはできない。

二 本案についての主張

1 仮に、帰化不許可決定が行政事件訴訟法三条二項にいう「処分」に当たるとしても、本件帰化不許可決定は、法務大臣の裁量権の範囲内にあり違法でないから、被控訴人の請求は棄却されるべきである。

2 そこで、法務大臣の裁量権の範囲について考察することとする。前記のとおり、法務大臣は帰化の許否を決するについて、法定の条件を具備した申請者につき帰化の許可を義務づけられるわけではない。法務大臣は、その者についてなお様々な事情を考慮し、許可することが相当でないと判断したときは帰化を許可しないものとすることができるのである。これが法務大臣が帰化の許否につき自由裁量権を有することの具体的な意味である。そして、法務大臣は、帰化の許否を決定するにあたつては、国内の治安と善良の風俗の維持、保健・衛生の確保、労働市場の安定などの国益の保護の見地に立つて、帰化申請者の申請事由の当否のみならず、当該外国人の一切の行状、国内の政治・経済・社会等の諸事情、国際情勢、外交関係、国際礼譲など諸般の事情をしんしやくしなければ、とうてい適切、的確な判断をなし得ないものなのである(出入国管理及び難民認定法五条、二二条、二四条、最高裁昭和五三年一〇月四日大法廷判決・判例時報九〇三号三ページ、判例タイムズ三六八号一九六ページ参照。なお、外国人の出入国、在留について法務大臣に付与されている裁量権の範囲と、帰化の許否について法務大臣に付与されている裁量権の範囲とを比較考察すると、後者のほうがいつそう広い裁量権を付与されていると解される。なぜなら、帰化の許可は、外国人に対し、出入国及び国内在留の権利を付与するのみでなく、主権者たる国家の構成員とする行為であるのに対し、出入国、在留の許否は、外国人の日本国における一時的な出入国、滞在の許否を決するにすぎず、帰化の許否の決定のほうが国家の利益につき、より密接かつ重大な契機をはらんでいると考えられるからである。したがつて、外国人の出入国及び在留の許可に関して法務大臣が考慮すべき事項は、帰化の許可に関しすべて考慮すべきこととなる。)。

また、大帰化(国籍法七条)については、法務大臣は、国籍法四条所定の帰化条件を全く考慮することなく帰化を許可することができるのであつて、このことは帰化の許否に関する法務大臣の自由裁量の範囲が極めて広いものであることを示している。したがつて、帰化の許否の判断は、事柄の性質上、法務大臣の裁量にゆだねるのでなくては本来なし得ないものなのである。特に前記のような国益の保護の判断については、国内はもとより国際的にも広汎な情報を収集しその分析の上に立つて、そのときどきに応じた的確な判断をすることが必要であり、また時には高度な政治的な判断を要求される場合もあり得ること等にかんがみれば、帰化の許否の判断における法務大臣の裁量の幅はきわめて広いものと解するのが相当である。

前記考察によつて明らかなとおり、法務大臣の裁量権が広範であり、帰化許否の判断にあたつて考慮される事項もほとんど無制約的であることを考慮すると、法務大臣の裁量権の範囲を画定することは、現実には、極めて困難であるといわざるを得ないことになるであろう。もしそうであるならば、法務大臣の裁量権の範囲を問題とし、その逸脱を指摘することは、観念的な空論となることになるであろう。もつとも、法務大臣の右裁量権の行使も、恣意が許されないことは当然であるが、法務大臣の裁量権の範囲がきわめて広いと解されることの反面として、裁量権の逸脱・濫用とされる場合は、一般の行政処分と比較して、極めて限定されてくることは明白である。

3 本件帰化不許可決定に関し、その違法事由として被控訴人の主張するところは、被控訴人が日本人の子である元日本人であること、日本に出生以来住所を有すること、無国籍であることに尽きる(原判決四丁表)。しかし、右主張は、被控訴人が日本人の子又は元日本人として帰化の最低条件を備えているとの主張に外ならず(国籍法六条二号、四号、四条五号参照)、したがつて、被控訴人の主張は、帰化の最低条件が満たされている場合には、法務大臣は帰化を許可すべき義務があること、換言すれば、帰化の許否の決定は、自由裁量行為ではなく覊束裁量行為であるとの主張に帰着せざるを得ない。しかし、法務大臣の行う帰化の許可決定が自由裁量に属することは、本準備書面において詳述し、原判決も正当に説示するとおりであつて、被控訴人の主張は、その余の点を判断するまでもなく、失当であることは明白である。それにもかかわらず、なぜ、原判決が、法務大臣が「葉美穂との身分生活関係を考慮した」ことの適否について判断を加えたかを理解することは極めて困難である。原判決は、「(被控訴人は、)出生から今日まで日本に住所を有し善良な市民として生活し、」「(国籍)法四条の帰化条件を具備している者ということができる」(二〇丁表)、「(法務大臣が)親子同時申請をなし得ない特段の事情がないとして本件申請を不許可とすることはやや酷にすぎ、むしろ……本件申請を許可すべきものと判断される」(二一丁裏)等と説示しているが、これらから推測すると、原判決は、帰化の不許可決定の取消訴訟においては、裁判所は帰化の最低条件の有無及び帰化の許可を相当とすべきか否かについて、法務大臣と「同一の立場に立つて独自に要件を認定した上、処分すべきかどうかの判断を行い、その結果と当該処分とを比較してその適否を審査」すべきものとの見解に立つものと思われる。しかし、このような見解は、結局法務大臣の裁量権を否定し、三権分立の原理を否定するに他ならず、到底容認することはできない(最高裁事務総局編、続々行政事件訴訟十年史、五四ページ参照)、なお、原判決は、「(被控訴人に関し)素行の不良や国籍法四条六号所定の事実を窺わせる証拠はない」とし(二〇丁表)、帰化の最低条件が具備されていないことについて控訴人に立証責任があるかの如く述べているがこれが誤りであることは多言を要しない。

4 広島法務局長は、本件不許可決定の理由として、「葉美穂との身分生活関係が考慮された」ことを被控訴人に通知し、控訴人はその具体的意味を原審において説明したが、これは、右の点については特に公開を相当としない事情がなく、控訴人が許可を相当としない事情を解消し、帰化の再申請を行う便宜を考慮するとともに、特に被控訴人及びその訴訟代理人が被控訴人の帰化により美穂が当然日本国籍を取得しうるとの国籍法、戸籍法の誤解に基づき本件訴訟が提起されたこと(原審における原告準備書面、特に昭和五五年八月一二日付けのもの二、(二)参照)にかんがみ、その誤解を解き、無用の訴訟の継続を終わらせる見地から行つたものであり、この点につき裁判所の審査権が及ぶこと、又は、法務大臣が帰化の不許可決定に際し、その考慮したすべての事情を明らかにすべき義務があること若しくは本件訴訟においてその主張立証責任があることを承認するものではない。

親とその親権に服する未成年の子が国籍が異なる状態を人為的に創出することは、著しく妥当を欠くこと及び葉美穂の父子関係の整序を要することについては、控訴人は原審において詳細に説明したので、ここでこれを援用するが、原判決の結論にかんがみ、次の諸点を更に指摘する。

(一) 葉美穂は、葉發貴の嫡出子であれば、出生当時同人と中国人たる被控訴人の子であり、また、被控訴人主張の如く出生当時同人と伊藤充の認知されていない子であるとすれば、中国人たる被控訴人の父性の確定しない非嫡出子であつていずれの場合においても、出生により日本国籍を取得することはない(国籍法二条一号、三号参照)。したがつて、美穂が日本国籍を取得するには帰化の許可を得る他はなく、被控訴人のみが帰化の許可を得る場合には、人為的に親とその親権に服する子の国籍が異なる状態が現出される。

(二) 外国人の日本の国籍の取得の効果がその者の未成年の子に及び日本の国籍の喪失の効果がその子に及ぶとした旧国籍法の諸規定(一五条、二一条等)が廃止されたのは、関係者の意思を無視して後天的な国籍の変更を強制すべきでないとの考慮に基づくものにすぎない。現行国籍法は、日本国民の子である外国人については、その帰化条件を緩和しているが(六条二項)、これは親子が同国籍であるべき要請に基づくものである。

(三) 親子が国籍を異にする場合には、それぞれの祖国に対する忠誠義務と親子の情誼とが相反する事態を生じ、人倫に反する結果が生じうる。

(四) 諸外国の法制をみると、親の国籍の得喪の効果はその子、特に未成年の子に当然に及ぶものとするものが大勢を占めており、親子が国籍を異にする状態を人為的に現出されることが著しく妥当を欠くことは国際的な通念である。

(五) 葉美穂が被控訴人とともに帰化の申請をする場合においても、事前に美穂の父子関係の整序が必要である。美穂が帰化の許可を得た場合、その告示の日から一〇日以内に帰化届をし、その届書には父の氏名及び本籍又は国籍を記載しなければならないが(戸籍法一〇二条、その懈怠につき同法一二〇条)、原判決の指摘するとおり(一六丁裏)美穂は葉發貴の嫡出子と推定されるから、あらかじめ同人との間の親子関係が判決又は審判により否定されていない限り、帰化届書には葉發貴を父と記載せざるを得ない。しかし、被控訴人の主張によれば、美穂と葉發貴との間には父子関係がなく、美穂は伊藤充の子であるというのであるから、右の帰化届は、人の身分関係を公証する戸籍簿に虚偽の記載を求める届となる(刑法一五七条参照)。

美穂がこのような進退両難の状態に置かれることとなるのは、被控訴人の主張によれば、同人が葉發貴との間の婚姻を解消しないまま伊藤充との間に美穂を懐胎したことに起因するのであるから、被控訴人が美穂の親権者として父子関係の整序の手続をとるべき道義上の義務があることは、社会通念上も明らかである。

以上のとおり、本件帰化不許可決定において、法務大臣が「葉美穂との身分生活関係を考慮」したことは、社会通念に合致し、国際的通念にも合致するものであり、極めて合理的であり、これをも、裁量権の濫用、逸脱のそしりを受けるいわれのないことは、あまりにも明白である。

5 原判決は、右の点を是認しながら、「本件においては、その取扱を例外的に停止または解除すべき特段の事情があるというべく、この点を十分に考慮することなく」被控訴人の帰化申請を不許可としたことが合理的な裁量の範囲を超えることとなる、とする(二二丁表)。

しかし、原判決が特段の事情として指摘する事項は、すべて法律の誤解と事実の誤認に基づくものである。

(一) 原判決は、特段の事情として、被控訴人が「無国籍」であることをあげている。

控訴人は、原審において、被控訴人に関し「中華民国内政部長名の国籍喪失許可証」が発行されたことは認めたが、被控訴人の「無国籍」は、帰化申請のための一時的なものである旨主張したところ、その趣旨は国籍法四条五号との関係においては、被控訴人がその条件を備えているものと扱つて差し支えないとの趣旨である。これに対し、原判決は、なんら法律上の具体的根拠を示さず、被控訴人が真の無国籍であると認定したようである。思うに、ある特定の個人が自国の国籍を有するか否かを決定することが、当該国家の専権に属することは、確立した国際法の原則である(国籍法の牴触についてのある種の問題に関する条約一条参照)。また、無国籍となる場合には、国籍の離脱を許すべきでないことも国籍に関する国際通念である(無国籍の削減に関する条約七条、国籍法一〇条参照)。しかるところ、台湾は中華人民共和国の領土の不可分の一体であり、中華人民共和国政府は中国の唯一の合法政府である(一九七二年九月二九日の日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明、日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約参照)。したがつて、被控訴人が右共同声明署名の前日たる「中華民国六一年九月二八日付けの中華民国内政部長名義の国籍喪失許可証を有することにより、被控訴人が従来の中国の国籍を喪失したか否かは、専ら中華人民共和国政府の判断すべき事項であり、「その国民として諸権利を享有することができない」(一九丁表)か否かも、専ら同国政府の決定すべき事項である。

被控訴人が右国籍喪失許可証を取得したのは、本件帰化申請の約七年前であり、かつ、被控訴人の主張及び原判決によれば、同人の意思に基づき右許可証が下付されたものである。自らの意思により右許可証を取得したことをもつて、原判決が「特段の事情」に該当するとしたことは、極めて妥当を欠くというべきである。

なお、我が国の現行法規上、日本国民と外国人との間に異なる法的地位を定めたものは多数あるが、外国人とは通例日本の国籍を有しない者をいうのであつて(出入国管理及び難民認定法二条二号)、外国の国籍を有する外国人といずれの国籍をも有しない外国人との間に法的地位の差異を定めた法律はない。

また、原判決は、「特段の事情」として外国人が国内法上「諸般の制限を受けること」(一九丁表)を挙げているが、理解の範囲を超える。すべての外国人は等しく国内法上の制限を受けるのであるから、原判決の論法をもつてすれば、すべての外国人は、帰化を許可すべき「特段の事情」があることとなる。

(二) 次に、原判決は、美穂の身分整序に相応の期間を要することを帰化を許可すべき「特段の事情」としているが、原審においても主張したとおり、被控訴人の主張が真実であれば本件については、家事審判法二三条による合意に相当する審判を受けることもできるから、比較的短期間に子の身分整序を終えることができるはずである。また前述のとおり、美穂の父子関係について整序の必要が生じたのは、被控訴人自らの行為の結果であるから、同人は速やかにその手続を執る道義上の義務があるというべきであるにもかかわらず、これを行わないのは、原判決も指摘するとおり(二〇丁表)、被控訴人及びその訴訟代理人が戸籍法、国籍法に関し独自の見解を有するからである。このような事情をもつて、帰化を許可すべき「特段の事情」と言えないことは明らかである。

(三) 原判決は、帰化を許可すべき「特段の事情」として、被控訴人が帰化の最低条件を具備していることを強調するが(一九丁裏から二〇丁表)、先に述べたとおり、これは帰化許可が覊束裁量行為であるというに等しく、到底「特段の事情」ということはできない。

(別紙)

昭和五八年一月一一日付 被控訴人準備書面

右当事者間の昭和五七年(行コ)第八号帰化許可申請却下処分取消請求事件につき被控訴人の口頭弁論を次の通り準備します。

控訴人の昭和五七年一一月一八日付控訴理由書記載の主張に対し、次の通り応答する。

便宜上重要事項別に述べる。

第一国籍取得の法的意義

国籍取得は特定国家の公法上の権利義務の主体となり得る地位、資格、能力の取得を意味するもので「現時における世界機構の下では個人の権利も義務もいずれかの国家の法的保障のもとに実現されるところが極めて大きいという現実からするならば、人は必らずいずれかの国籍をもつべきであるということが基本的人権の一つとさるべきである。一九四八年一二月一〇日の世界人権宣言の第一五条は「すべて人は一つの国籍を有する権利がある。」と規定しているのは人権保障のための基本的要請によるものである。」(法学全集第五九巻国籍法一一、一二頁)

被控訴人は後記事情のため現在無国籍にあるもので、如何なる国家の公法上の保護も受けていないもので本件帰化申請は右基本的人権の要請に基づくものである。

第二被控訴人の法的地位

被控訴人は本来日本人として日本国籍を有したものであるが、昭和二三年二月三日中華民国人葉発貴と婚姻したため日本国籍を喪失、名目上中華民国国籍を取得したこととなつているが、右葉戸籍に編入されていないのであるから右国籍の取得があつたものと見做すことはできない。にも拘らず、昭和三四年一〇月一五日右葉発貴と事実上の離婚をするや、右葉が被控訴人の日本国籍への復帰を容易ならしめるため、甲第七号証発行のため奔走し、右交付があつたため無国籍となつたが国籍復帰の規定と手続を欠く日本法のため復帰はならず無国籍の儘放置されるに至つた。

「婚姻した日本人の女子が、夫の本国の法律に従つて、当然にもしくは帰化によつて夫の本国の国籍を取得し、その結果日本の国籍を喪失したような場合、夫の死後または離婚後、日本に居住し、実質的に夫の本国となにも関係をもたないようなとき、その女子をして帰化によつて日本の国籍を取得せしめることは極めて妥当であるといわなければならぬ。」(前掲法学全集国籍法四二頁)とある通り、本件帰化は近代法理論が当然に要請するところである。

第三被控訴人の日本国籍取得要件

国籍法上の血統主義から言つても、生地主義から言つても、被控訴人が日本人として公法上の権利義務の主体として国法の保護を受けるべき地位にあることは一点の疑は無い。

この事理は国民総体の理性と心情の是認する要請であると断定しても過言ではない。日本人を両親として、日本国土に生まれ、日本学制に依る教育を受け、日本国土から一日と雖ども離れたことは無い本来的日本人が日本人としての公法上の資格を認められない……と云うが如き法務大臣の裁量行為なるものは専政国家の専政権力よりももつと劣悪で最悪のものである。

第四国籍法と法務大臣の権限

日本国憲法前文は「ここに主権が国民に存することを宣言し」第三章国民の権利及び義務の冒頭第一〇条に「国民たる要件は法律でこれを定める」と規定し、国籍法に国籍取得の要件が法定されていることは衆知の通りである。

右は国籍取得の要件を内外に宣言したもので法治国家の本質上右要件を充足する場合は国籍を取得し得るものと解釈するのは当然の仕儀である。

控訴人は右要件を充足していても帰化を許可するか否かは自由に裁量出来る旨を強調し、法は単なる参考資料に過ぎぬ旨を放言するが行政機関の恣意が法に優越するかの如き解釈が法の下の行政を定めた法治国家の法理念と法解釈上許されぬことは当然である。

本件帰化申請が国籍法上の要件を総べて充足し、血統上本来の日本人であることに一点の疑問は無いし、生地主義から言つても終始、日本国土において健全な市民生活を送つて来たもので国民的常識と国民的心情の等しく是認する日本人であり、日本人であるべき存在であるのに拘らず帰化を拒否するからには万人が肯定し得る規範と事実と理由を明示し、立証する責任が控訴人にこそ存在するものである。「長女美穂との身分生活関係が考慮された。」と称するが、控訴人の帰化の障害となる「身分生活関係」とは一体如何なるものかの具体的説明も証明も無いし、後述する通り長女美穂の法上の処遇については親として心魂を砕いて善処しているもので、帰化申請者でも無い第三者の私法上の処遇について法務大臣が容喙する権限は無い。况んや帰化不許可の理由とされる謂れは無い。

先来所述の通り本件帰化申請を拒否する行為は社会的通念と条理に反するもので著しく裁量権行使の範囲を超え、濫用し、前第一項及び第三項記載の被控訴人の基本的人権を害する違法な行為で取消さるべきである。

第五帰化申請の法的意義と不許可の処分性

帰化申請行為は公法上の権利、義務の主体となり得る地位の取得を求める法上の意思表示である。控訴人は単なる「事前の帰化同意行為に過ぎぬ」旨を強調するが、この様な法解釈は法的意識の自然の事理に反するばかりか、人間存在の法的意義を無視し、国家権力を神格化し、人間存在をその受恵の対象とし、主体的な意思と行動の主体としての人間存在を否定するもので不当である。

帰化不許可は右申請の内容である公法上の権利及び義務の主体となり得る地位、資格、能力の取得を拒否する行為で申請者の基本的人権と基本的な法的利益を毀損するもので法的処分性を有するものである。

控訴人は右行為が申請者の地位や利益を何等害することは無い……と放言するが、仮りに地位を替えて考えて見れば日本人として認められぬ控訴人に法務大臣の地位が成立する筈は無いであろう。

帰化申請の法的意義は先述の通りであるが何れの解釈を執ろうと申請行為を執らぬ当事者について帰化要件の具備如何を調査審議することは不可能であるばかりか不当であつて、第三者の帰化申請が同時に行われていないことを理由として帰化申請を不許可とするのは国籍法の成文の規定を無視するもので違法である。国籍法は他の申請無き第三者(それが親子であろうと友人知己を問わず)の同時申請を要件とするものでは無い。

第六民法第七七二条と長女美穂の処遇

被控訴人と訴外葉発貴との夫婦生活は昭和三四年一〇月一五日限り解消し生活面の接触は無い。

長女美穂が同人との嫡出の子で無いことは明白であつて、右事実を証明する資料も存在するのであるから民法第七七二条の父性の推定に関する法的推定を破ることは右事実と証拠によつて可能である。嫡出でない実子としての戸籍上の届出と登録を可能にするために被控訴人の帰化許可と戸籍の編製が前提として必要であることは云う迄も無い。

右長女が前記訴外者の戸籍に編入されることは関係当事者が心魂をこめて拒否するところで、右方途を選択し、選択に立つ爾後の手続を執ることは出来ない。

右美穂の法的な処遇について異なる見解が存在するとするも控訴人から指示される理由は無いし、况んやその身分や生活関係の安定のため被控訴人の帰化拒否が必要であるとの考慮が背理であることは勿論のこと、親子の人権を無視するものである。

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